金石城跡
(カネイシジョウアト)応仁2年(1468)第10代宗貞国が、峰町佐賀から府を厳原へ遷して以来、3度目の館を構えた場所。
- エリア
- 対馬
- テーマ
- 歴史・文化財・日本遺産
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享禄元年(1528)の内乱で、「池の屋形」は炎上消失しました。脱出した宗将盛は国分寺に避難し、国分寺の東側は空いていたので、そこに新しい屋形を築きました。それが「金石屋形」です。
寛文5年(1665)、義真は国分寺を日吉に移転し、金石屋形を拡張しました。城郭を整備し、大手門に櫓を建て、多門櫓を造ったのが同9年で、これより「金石城」あるいは「府城」ともいいますが、天守閣は造りませんでした。
今運動公園の地に残る城壁、城門の跡、庭園の池などは、さすがに往年の偉容を偲ばせます。大手の櫓門は大正8年(1919)まで残っていましたが、京都かどこかの寺院に売却されたといいます。
現在のものは平成2年に再建されたものです。
Data 基本情報
住所 | 〒817-0021 長崎県対馬市厳原町今屋敷670-1 | |
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アクセス | 厳原港から車で5分 | |
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