めぐりたい!長崎県の近代化遺産-明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業
幕末から昭和・第二次世界大戦期にかけて、日本の造船や製鉄・鉄鋼、石炭産業は急速な発展を遂げました。鎖国時代、国内唯一の貿易港を有していた長崎には、その原点ともいえる「近代化遺産」が数多く存在します。西洋の技術をいち早く取り入れ、当時の日本人たちが創意工夫を重ねて造り上げた貴重な文化遺産たちです。
2015年に、軍艦島(端島炭坑)をはじめとする8つの産業遺産が、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成遺産として世界文化遺産に登録されました。
「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」長崎エリア8つの構成資産
2015年に、軍艦島(端島炭坑)をはじめとする8つの産業遺産が、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成遺産として世界文化遺産に登録されました。
旧木型場(長崎造船所)
長崎造船所最古の建物
三菱合資会社時代、鋳型製造のための木型を製作していた建物です。工場建物は木骨煉瓦造二階建てで、長崎造船所に現存する最も古い建物です。長崎造船所が日本の近代化に果たした役割を永く後世に残そうと、1985(昭和60)年に史料館として改装されました。
■近代化のポイント
造船に必要な、鋳型製造のための木型を製作した建物
占勝閣(長崎造船所)
長崎港を望む由緒ある迎賓館
造船業形成期の三菱合資会社時代に、第三船渠を見下ろす丘の上に建設された木造二階建の洋館です。長崎造船所長の荘田平五郎の邸宅として建設されたものの、所長宅としては使用されず迎賓館となりました。設計は英国人建築家ジョサイア・コンドルに師事した明治の建築家・曾禰達蔵(そねたつぞう)です。現在もほぼ創建当時の姿で、迎賓館として使われています。
■近代化のポイント
造船業形成期の三菱合資会社時代に、第三船渠を見下ろす丘の上に建設された木造二階建の洋館です。長崎造船所長の荘田平五郎の邸宅として建設されたものの、所長宅としては使用されず迎賓館となりました。設計は英国人建築家ジョサイア・コンドルに師事した明治の建築家・曾禰達蔵(そねたつぞう)です。現在もほぼ創建当時の姿で、迎賓館として使われています。
ジャイアント・カンチレバークレーン(長崎造船所)
日本初の電動クレーン
造船業形成期に同型としては日本で初めて建設された当時最新の電動クレーンで、英国アップルビー社製です。150トンの吊上能力で大型船舶用装備品の吊り上げ荷重に耐え、電気モーターで駆動するもので、造船所の機械工場付近の飽の浦岸壁に、タービンやボイラなど大型機械の船舶への搭載と陸揚げのため建設され、現在も稼働しています。
■近代化のポイント
大型船舶の製造も可能にした同型としては日本初の電動クレーン
第三船渠(長崎造船所)
第三船渠(長崎造船所)
三菱合資会社時代の1905年に竣工した乾船渠(ドライドック)。入り江の地形を利用し、背後の崖を切り崩し、前方の海を埋め立てて造られました。開渠時に設置された英国製の電気モーターと排水ポンプは現在も稼働し、ドライドックの機能を維持しています。建設後に拡張を行っているものの、当時の姿を留めています。
■近代化のポイント
長崎造船所で明治期に開渠した船渠では、唯一現役で稼働する船渠
小菅修船場跡
日本初 蒸気機関を利用したドック
外国船の修理を目的としてトーマス・ブレーク・グラバーと薩摩藩らによって建設された、日本で初めて蒸気動力を用いた洋式スリップドックです。
曳揚げ装置一式は、グラバーがスコットランドから購入しました。装置を格納する小屋(内部は非公開)は、現存する日本最古の本格的な煉瓦造建築です。
扁平な煉瓦は、その形状から「こんにゃく煉瓦」とも呼ばれています。
多数の船の修理や建造に使用されましたが、船の大型化や他の造船工場の本格稼働などにより、その役割を終え、1953年に閉鎖されました。
現在は国の史跡に指定されています。
■近代化のポイント
幕末、国内外の船主から修船場を望む声が上がり、日本初の蒸気動力を用いたドックが誕生
旧グラバー住宅
日本の近代化に貢献したグラバーの住宅兼事務所
スコットランド出身の貿易商トーマス・ブレーク・グラバーは1859年の開港と同時に長崎を訪れ、石炭・造船の分野で日本の近代文明の進展に大きく貢献しました。旧グラバー住宅は、国内に現存する最古の木造洋風建築で居住やビジネスの拠点としてだけでなく、文化交流の場としても使われていました。この南山手の高台からは、長崎の港と対岸の三菱重工業(株)長崎造船所が一望できます。現在はグラバー園の中心施設として多くの観光客が訪れています。
■近代化のポイント
英国様式と日本の伝統的な建築技術を駆使した国指定重要文化財
端島炭坑(軍艦島)
近代化を支えた産業遺産
端島は長崎港から南西約18kmの海上に浮かぶ面積6.5haほどの小さな島です。石炭の採掘に伴い島の周辺が埋め立てられ、その外観が戦艦「土佐」に似ていたことから「軍艦島」とも呼ばれています。また炭坑の開発とともに従業員の住宅建設も行われ、1916年以降、高層鉄筋アパートが建ち並び、最盛期には5,000人を超す人々が生活していました。昭和30年代後半、エネルギー供給の主体が石炭から石油に転換したことから、1974年の閉山時に無人島となり、住居は廃墟と化しています。
■近代化のポイント
良質な石炭の採掘で栄えた島。島には日本初の鉄筋コンクリート集合住宅も。
高島炭坑(北渓井坑跡)
日本初の蒸気機関による竪坑跡
北渓井坑は、日本で最初に近代的採炭法を導入した炭坑です。蒸気機関による巻揚機やポンプなどの西洋の技術が導入された深さ43mの竪坑をもっています。日産300トンを出炭したといわれます。明治元年(1868)から開削し、翌年に着炭しましたが、海水の流水により明治9年(1876)廃坑しました。
■近代化のポイント
蒸気機関を導入した日本初の洋式炭坑。
近代化産業遺産年表
長崎県の近代化遺産 ー石炭ー
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九州最後の炭鉱の島 ―池島炭鉱―
池島は西彼杵半島の西沖合約7kmにある周囲約4kmの小さな離島で、かつて炭鉱の島として栄えた島です。松島炭鉱の用地買収により開発が進み、最盛期には8,000人近い人々が生活していました。閉山が2001年11月とまだ日が浅く、島内には炭鉱設備や炭鉱アパートがそのままの姿で残っています。現在はトロッコに乗って坑道を見学することもできます。
■近代化のポイント
高品位な石炭の産地として日本のエネルギー産業を支えた -
松島炭鉱の反映を支えた ―松島炭鉱―
松島は長崎県西海市大瀬戸町にあり、かつて捕鯨の島としても栄えた離島です。18世紀終わり頃から採掘されていましたが、1807年大村藩の直営となった頃から鉱主が増え始め、諸国から石炭積船が絶えず出入りするようになりました。島内には五坑あり、最盛期の1925(大正14)年には約51万5千トンも採掘しています。ドイツ人技師によって建てられた赤煉瓦の建物が往時の姿を残しています。
■近代化のポイント
松島炭鉱の反映を支えた五つの炭坑
長崎県の近代化遺産 ー交通ー
県内には、近代化を進めるうえで欠かせない、昭和初期に建造された鉄道や道路、橋なども多く存在します。レトロな雰囲気が感じられることから撮影スポットとしても人気です。
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鉄道が走った緑のトンネル ―旧小浜鉄道トンネル群―
トンネルやプラットホームの跡など、昭和初期に小浜〜愛野間を結んで利用された鉄道の跡をあちらこちらで目にすることができます。中でも狭い切り通し跡に、道の両側から木々が生い茂る通称「緑のトンネル」はその涼しげな雰囲気が人気を集めています。現在はそのまま県道201号線として利用されています。
■近代化のポイント
昭和初期に観光地に敷かれた鉄道の跡がそのまま残る場所 -
日本最古の現役鉄製道路橋 ―出島橋―
出島跡の脇に流れる中島川に架かっているのが出島橋です。当初は中島川河口付近に建造されましたが、明治43年にこの場所に移されました。アメリカから輸入した鋼材をトラス構造に組み上げたこの橋は、橋長36.2m、全幅5.5mの、日本最古の現役鉄製道路橋です。100年以上現役であることが、その設計や材質の良さを物語っているようです。
■近代化のポイント
日本最古の現役鉄製道路橋 -
東洋一の長さを誇ったアーチ橋 ―西海橋―
もっと見る長崎県佐世保市針尾島と西海市西彼町の間にある伊佐ノ浦海峡にかかるアーチ橋です。全長316m、海面からの高さ43m、完成当時は固定アーチ橋としては世界第3位の長さを誇る、東洋一の大きな橋は、長い間「陸の孤島」だった西彼杵半島を陸路で結び、半島の発展に寄与しました。日本三大急潮の一つに数えられる針尾瀬戸の渦潮は迫力があり、春の桜の季節には「うず潮まつり」が開催され、多くの観光客で賑わいます。
■近代化のポイント
固定アーチ橋としては世界第3位の長さを誇った戦後の長大橋建設の先駆けとなる傑作橋梁 -
城と城下町を繋ぐ石造単アーチ橋 ―幸橋(オランダ橋)―
もっと見る幸(さいわい)橋は、長崎県平戸市岩の上町の鏡川に架かるアーチ橋(石橋)です。かつて船で連絡していた鏡川に、当初木製の橋がかけられましたが、1702年当時の石工たちの手によって、現在の石橋に架け替えられました。オランダ商館の石造り建築に従事した石工によって架けられたことから「オランダ橋」ともよばれています。現在は国の重要文化財に指定されています。
■近代化のポイント
オランダ商館の石造り建築に携わった石工がオランダ技法を用いて作った石橋 -
長崎港へ向かう船を見守る灯台 ―伊王島灯台―
もっと見る伊王島の北端に位置し、1866(慶応2)年の江戸条約(海上交通の安全を保つための条約)によって、三浦半島の観音崎、房総半島の野島崎、鹿児島の佐多岬などとともに建設された8つの日本最初の洋式灯台のひとつです。日本初の六角形灯台でしたが、原爆の被害により一時は四角形に改修されましたが、2003年に復元されています。2012年に公開された映画「あなたへ」のロケ地にもなりました。
■近代化のポイント
日本最初の近代的洋風灯台。 -
石炭にわいた港の煉瓦造りの灯台 ―口之津灯台―
かつて三池炭鉱で採掘された石炭は、口之津港まで運搬され、ここから海外へ輸出されていました。石炭の需要が増え、入港する船舶が増加し始めた明治13年、航行の道しるべとして口之津灯台が建設されました。長崎県では三番目となる煉瓦造りの灯台で、130年以上もの間、航海の安全と口之津港の盛衰を見守り続けてきました。
■近代化のポイント
三池炭鉱で採掘された石炭を海外へ輸出する際の道しるべとなった
長崎県の近代化遺産 ー防衛ー
数々の砲台跡など、県内には戦争遺産として残っているものが多く存在します。
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旧海軍が建設した無線送信塔 ―針尾送信所無線塔―
もっと見る旧日本海軍によって建てられた巨大な3本の無線送信塔です。高さはいずれも136mで、一辺が300mとなる正三角の形に配置されています。かつて塔頂には電線が張り渡され、昭和16年12月8日ハワイの真珠湾攻撃を命じた「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号電文が、この無線塔でも発信されたと言われています。2016年に『鎮守府横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~』として日本遺産に認定されました。
■近代化のポイント
太平洋戦争の口火を切った「ニイタカヤマノボレ1208」の電文が遠く離れた南洋や大陸に発信されたといわれる、旧海軍の無線塔。 -
世界最大の巨砲を有した砲台跡 ―豊砲台跡―
もっと見る韓国に程近い国境の島、対馬には明治期から多くの砲台が建設されましたが、なかでも豊砲台は、第二次世界大戦前に造られたものです。大正時代のワシントン海軍軍縮条約により不要となった巡洋戦艦「赤城」の45口径40.6cmカノン1基2門の砲塔・砲台を移設し(戦艦土佐のものという説も有)、昭和9年に完成しました。当時は世界最大の巨砲といわれましたが、実戦では一発も発射することがなく終戦を迎えました。
■近代化のポイント
当時世界最大の砲台だったといわれる強力な要塞 -
レトロな煉瓦造りの砲台跡 ―姫神山砲台跡―
もっと見る対馬では明治期から昭和初期にかけて全島に31もの砲台が造られました。その一つでもある姫神山砲台は日露戦争に備えて造られた煉瓦造りの砲台です。3つの砲座があり、計6門の28cm榴弾砲が備え付けられました。遺構としての規模はかなり大きく、現在は周囲の自然と調和しレトロな雰囲気漂うスポットとなっています。
■近代化のポイント
明治を代表する煉瓦造りの砲台跡 -
東洋一といわれた砲台跡 ―黒崎砲台跡―
もっと見る壱岐の観光スポット「猿岩」そばの小高い丘にある砲台跡です。黒崎砲台は第二次世界大戦に向けて建造されたもので、対馬海峡を航行する艦船を攻撃する目的で設置されました。砲台は口径40cm、砲身は18mの2連砲で、ワシントン軍縮条約で廃艦となった戦艦土佐の主砲と、回転台その他は戦艦「赤城」のものが取り付けられたと言われていますが、実際にはここから発射されることはありませんでした。
■近代化のポイント
第二次世界大戦に向け、戦艦の主砲を移設した東洋一といわれた砲台跡 -
旧海軍の艦船がここに入った ―旧佐世保海軍工廠第一船渠―
1889(明治22)年、海軍佐世保鎮守府が開庁し、佐世保の街には海兵団や海軍工廠などの施設が次々に建設されました。当時の海軍工廠の施設は、現在民間の船舶会社が利用していますが、最も古い船渠(ドック)は石積みのもので、1893(明治26)年に建設が開始されました。長さ141.4m、幅30.35mの大きさを誇り、多くの艦船の造修に活躍しました。戦後に先端部を30mほど拡張しましたが海側では現在も建設当時の石積みの景観が残っています。
■近代化のポイント
明治期に造られた、石積みの大規模な船渠。 -
第一次世界大戦の功績を讃えた記念館 ―旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館―
現在、市民文化ホールとして使われている凱旋記念館は、第一次世界大戦で活躍した佐世保鎮守府所属の艦船の功績を讃え建設されたものです。鉄筋コンクリートと煉瓦による2階建で、古典主義的なモチーフを基調とした外観・内装が特徴的です。登録有形文化財に指定されています。2016年に『鎮守府横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~』として日本遺産に認定されました。
■近代化のポイント
第一次世界大戦の功績を讃え、建築された記念館 -
実戦で使用する魚雷の精度をはかった ―魚雷発射試験場跡―
旧海軍時代、佐世保海軍工廠や三菱長崎兵器製作所で生産された魚雷を実際に発射させる試験場がありました。それが大崎半島(大村湾)の対岸にある緑豊かな島、片島でした。ここでは、発射した魚雷の進行状況を観測所から確認し、その精度を見極めたようです。現在は海面につきだしたレール跡や、建造物の一部が残っています。
■近代化のポイント
旧海軍時代に建設された魚雷発射試験場 -
佐世保の港を護った堡塁 ―石原岳堡塁―
1889(明治22)年、海軍佐世保鎮守府が開庁し、「軍港」となった佐世保の港を護るため、設置されたのが石原岳堡塁です。地図で見ると、ちょうど港の入口付近に設置されているのが分かります。標高73〜77mに備えられた砲種は、クルップ式カノン砲6門、鋼製9cm臼砲4門、砲座数は7基となっていました。現在は、石原岳森林公園として整備されていますが、当時の姿を残しています。
■近代化のポイント
佐世保港を護った堅牢な堡塁
長崎県の近代化遺産 ー生活・住宅ー
明治から昭和初期にかけて、外国の様式を取り入れた建造物が多く造られました。今もなお美しく手入れされた施設は、観光スポットとしても人気です。
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出島最後の外国人所有「英国式明治洋風建造物」 ―旧長崎内外クラブ―
もっと見る旧内外クラブはトーマス・ブレーク・グラバーの息子、倉場富三郎をはじめ横山寅一郎、荘田平五郎らが、長崎に在留する外国人と日本人の社交の場として1899年(明治32年)に設立した「長崎内外倶楽部」があった建物で、現在の建物は明治36(1903)年にF.リンガーによって建てられた英国式明治洋風建築です。現在は、レストラン及び展示室となっており、見学することができます。
■近代化のポイント
明治時代、外国人と日本人の交流の場として造られた -
昭和初期、外国人向けに造られたホテル ―雲仙観光ホテル―
もっと見る日本初の国立公園に指定され、古くから外国人向けの避暑地として親しまれてきた雲仙に、昭和10年にオープンしたホテルです。竹中工務店が設計(早良俊夫氏)・施工を担当した第一号ホテルで、スイスシャレー様式を取り入れた山小屋風の建築となっています。地上3階、地下1階建で、ビリヤード場や理容室、硫黄泉浴室も完備されました。第二次大戦後は駐留米軍に接収されましたが、昭和25年には接収が解除、営業再開となりました。
■近代化のポイント
当時としては画期的な東洋の美と西洋の美が融合したホテル -
日本で最も古いパブリックコース ―雲仙ゴルフ場―
もっと見る20世紀初め、日本で最も古いといわれるパブリックコースが造られたのがここ、雲仙ゴルフ場です。雲仙は日本で初めて国立公園に指定された地でもあり、国内外の方から避暑地として親しまれていました。現在も当時の姿を残しつつ、ゴルフ場として利用されています。
■近代化のポイント
外国人も多く訪れた、日本で最も古いパブリックコース -
貴重な江戸時代の登窯の形を残す ―智惠治登窯跡―
江戸時代の連房式登窯の形式を残している、肥前地区では唯一のものです。築窯は明治40年ですが、昭和10年に小柳智惠治により大規模な改修を受け、現在の形になりました。ここでは主に日用食器、割烹食器、壺などが生産されましたが、優れた作品が多く、昭和天皇への献上品も生産されています。昭和27年まで使用されていましたが、窯室5室のうち2室は取り壊され、現在は3室が当時の姿をとどめています。
■近代化のポイント
江戸期の登窯構造がそのままの形で残っている貴重な登窯
近代化遺産マップ
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近代化遺産めぐり<モデルコース>
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【コース内容】
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池島炭鉱体験と外海めぐり
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近代化遺産めぐり<ガイドツアー>
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