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Ghost of Tsushima

STORY

武士の道から外れた境井仁(さかい じん)が冥府から蘇った
「冥人(くろうど)」となり、対馬を敵の手から解き放つ。
期待のオープンワールド時代劇アクションアドベンチャー。

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About TSUSHIMA

対馬とは

Ghost of Tsushimaの舞台「対馬」は、日本の九州の北方の玄界灘にある、
長崎県に属する山林が面積の89%を占める自然豊かな島です。
東アジア各国との距離が近いことで、元寇をはじめとする歴史上の出来事の舞台になりました。

元軍による侵攻

対馬は、鎌倉時代に「文永の役」「弘安の役」の2度にわたり、元軍(モンゴル帝国軍)の侵攻をうけました。
Ghost of Tsushimaは、「文永の役」の対馬から着想して、主人公「境井 仁」による元軍への逆襲を描いたゲーム作品です。

「蒙古襲来絵詞(模本)」(九州大学附属図書館所蔵)

元寇の歴史

中国大陸を制覇したモンゴル帝国(元)は、日本を属国とするべく、
再三にわたり使者を送りますが、北条時宗を中心とした鎌倉幕府はすべて黙殺します。
この態度に、モンゴル帝国の初代皇帝フビライ・ハンは怒り、二度に渡り日本へ侵攻しました。
1回目の侵攻を、「文永の役(1274年)」、2回目の侵攻を「弘安の役(1281年)」と呼びます。

文永の役

モンゴル軍は最初に対馬、壱岐へ侵攻したあと、博多湾に集結しました。
脱出に成功した対馬の僅かな武士から相手の戦術や特徴を聞いていたこともあり、
福岡の地を舞台として、モンゴル軍を相手に鎌倉武士は善戦します。そのような中、
モンゴル軍が停泊していた海に嵐が吹き荒れたことが決定打となり、モンゴル軍は撤退を余儀なくされました。

弘安の役

モンゴル軍は、日本占領の夢が諦めきれず、再度日本へ侵攻を開始します。
一方、鎌倉武士は、戦いに備え、博多湾に20kmにわたり上陸阻止用の石塁(元寇防塁)を築いたり、夜中に、敵船を襲うなどのゲリラ戦を駆使し、文永の役以上に戦いを有利に進めます。
そのような中、また嵐が吹き荒れ、モンゴル軍のほとんどの船と兵士が海に沈んだと言われています。

小茂田浜への侵攻

日本占領の足掛かりとして、元軍が最初に足を踏み入れたのが、対馬にある小茂田浜でした。
その数は3 万の兵士と 900 隻の軍船だっといわれています。
応戦した武士たちは、圧倒的な戦力を前に全滅しました。
そばには小茂田浜神社がありこの元寇の戦いで戦死した宗助国(そう すけくに)と部下の兵が祀られています。

SPOT-Ghost of Tsushima

「Ghost of Tsushima は、実際の対馬に合った風景にインスパイアされているので、
そのままの姿ではありませんが、実在したものをもとに表現をしています。
そんな実在する風景を、どれだけゲームに盛り込み、どんなストーリーをもたせるか。
私たちにとってとても野心的なチャレンジとなっています。」
(『Ghost of Tsushima』開発チーム、ジェイソン・コーネル、ネイト・フォックス、片見龍平 E3 2018 メディアセッションにて)

SPOT-Real Tsushima

小茂田浜 Komoda Beach

元寇の最初の舞台となった小茂田浜ですが、現在は美しい海と白浜の海水浴場です。

白嶽 Mt. Shiratake

古来より霊山として崇められた対馬のシンボル的な存在。
大陸系と日本系の植物が混生する独自の生態系をもち、国の天然記念物に指定されています。
トレッキングにも適しており、登山道には急斜面もありますが眺めの良さは抜群です。

和多都美神社 Watadumi Shrine

ヒコホホデミノミコトとトヨタマビメを祭神とする対馬の中央部に位置する神社。
5つの鳥居のうち2つが海中にそびえ、満潮時、社殿近くまで海水が満ちた様は、
竜宮を連想させ、その荘厳さは参拝客を魅了します。
干潮時は、一の鳥居まで歩いていくことができます。

金田城 Kaneda Fortress Ruins

西暦667年、浅茅湾南岸に突き出した「城山(じょうやま)」に築かれた古代山城です。
663年に唐・新羅連合軍に敗れた倭国が、防衛の要所として最前線である対馬に築城したと言われています。
その後、1000年以上の時が過ぎ、日露戦争前夜という国際情勢のなか、
再び要塞として整備され、巨大な砲台が据え付けられました。
1350年以上前に防人が築いた古代山城と、100年前に旧日本陸軍建設した近代要塞が並存する城山は国の特別史跡に指定され、
今もその数奇な歴史を物語り続けています。

万松院 Banshouin Temple

国指定史跡の万松院(ばんしょういん)は、
西暦1615年に宗家20代義成(よしなり)が父義智(よしとし)の冥福を祈って創建した寺で、以降、宗家累代の菩提寺となりました。
その後数度の火災により焼失したため今の本堂は明治12年(1879年)に建造されたものです。
132段の百雁木(ひゃくがんぎ)と言われる石段とそれに並ぶ石灯籠が幻想的な雰囲気を醸し出しています。

有明山 Mt. Ariake

有明山は、厳原港の西2.5キロに位置し、万葉集の「対馬の嶺」に比定される名山で、
対馬への航海の目印、大陸航路のランドマークのひとつだと考えられます。
山頂付近にはやや急な傾斜もありますが、概して歩きやすい山道となっています。
山頂部は広い草原になっており、対馬最高峰の矢立山や白嶽などを望むこともできます。

ゲンカイツツジ Rhododendron mucronulatum ciliatum

見ごろは3月中旬~4月上旬。対馬に春を告げる落葉低木で淡紅色の花をつけます。
一般的には山の稜線に多いのですが、対馬では海岸沿いの岩肌なども彩り、対馬市の花に指定されています。

金石城跡 Kaneishi Castle Ruins

金石城(かねいしじょう)は、江戸時代中世から近世にかけて宗家の居館の置かれた城です。
天守閣はなく、それに代わる櫓(やぐら)を建てていました。
石垣は良く残っており、対馬流の石垣技術がうかがえます。
櫓門は1919年解体されましたが、櫓の模型が残っていたため、1990年に復元されました。
城跡は国の史跡に指定されており、城内で発掘調査された庭園は名勝に指定されています。

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