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兵衛次郎の墓 (ヒョウエジロウノハカ)
700年有余年前の元寇の後の折、本町で元軍と戦い、戦死した人物です。
- エリア
- 平戸・松浦
- テーマ
- 歴史・文化財・日本遺産
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元寇で戦死した兵衛次郎の墓です。
1274年(文永11)、元軍が対馬に侵入してきた際、対馬守護代宗助国(つしましゅごだいそうすけくに)は、一族80騎を率いて奮戦しましたが、遂に及ばず。
戦死の直前、家臣の小太郎と兵衛次郎に、元軍の来襲を太宰府に知らせるようにと命じました。
二人は、激戦のなかを小舟で抜け出し、博多に上陸して太宰府にその旨を報じ、その使命を果たしたそうです。
その後、弘安の役のとき、小太郎・ 兵衛次郎の二人は鷹島に渡って奮戦し、この地で没したといわれ、それぞれ墓が建ちました。
対馬小太郎の墓は、鷹島町里免にあります。
基本情報
住所 | 〒859-4303 長崎県松浦市鷹島町神崎免 | |
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電話番号 | 0955-48-3111(鷹島支所 地域振興課 ) | |
アクセス | 鷹島肥前大橋から車ですぐ | |
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