当サイトでは、利便性の向上と利用状況の解析、広告配信のためにCookieを使用しています。サイトを閲覧いただく際には、Cookieの使用に同意いただく必要があります。詳細はクッキーポリシーをご確認ください。
本木昌造の墓 (モトキショウゾウノハカ)
市指定史跡
- エリア
- 長崎
- テーマ
- 歴史・文化財・日本遺産
- 882views
本木昌造の墓碑は、大光寺後山の本木家墓域にあります。
昌造は1824年新大工町乙名北島家の4男として生まれ、12歳の時本木家の養子となり、稽古通詞と小通詞末席、小通詞を勤めました。
昌造は、各分野にその才能を発揮し、海軍伝習掛通弁官・飽ノ浦製鉄所御用掛、活字板摺立所取扱掛を歴任。
船の操縦術にも優れ、また1868年には浜町と築町間の中島川に日本最初の鉄橋を架設しました。幕末から明治にかけて、長年近代印刷の開発に情熱をかたむけ、1870年新町に新町活版所を設け、活字製造と印刷を開始し、近代印刷の基を築きました。
基本情報
住所 | 〒850-0831 長崎県長崎市鍛冶屋町5-74 | |
---|---|---|
電話番号 | 095-829-1193(長崎市文化財課) | |
アクセス | JR長崎駅から路面電車(崇福寺行き乗車)利用11分、「崇福寺」電停下車徒歩5分。 | |
ウェブサイト | 関連サイトはこちら |