教会めぐり(五島・福江島コース)
1797年、大村領の外海から、故郷を棄て信仰の新天地を求めて海を渡りはじめ、最終的には3,000人ものキリシタンが五島の島の津々浦々に散っていきました。彼らを待っていたのは僻地の荒れ野と赤貧の日々、そして1868年におきた「五島崩れ」と呼ばれる再度の迫害。それでも地を這うように土地を耕し、辛抱づよく信仰という一粒の種を播きつづけました。
- 所要時間:1日
- 交通手段:車
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福江港ターミナル
五島市の教会めぐりにはレンタカーがおすすめです。
住所 | 〒853-0015 長崎県五島市東浜町2丁目3 |
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車で45分
井持浦教会
五島の信徒に呼びかけ、島内の石を集め作られた日本初のルルド
かつて、大村藩からの移住キリシタンが潜伏し、五島藩が塩造りの竈場で働せたという地区です。
1897年建立のレンガ造教会が台風で倒壊し、1988年にコンクリート造の現教会となりました。
当時の五島列島司牧の責任者ペルー神父は、1891年、バチカンにこのルルドの洞窟が再現されたと聞き、五島の信徒に呼びかけて島内の奇岩・珍石を集め、1899年、日本で最初のルルドを作りました。この霊水を飲むと病が治ると言われ、日本全国の信者の聖地となっています。
1897年建立のレンガ造教会が台風で倒壊し、1988年にコンクリート造の現教会となりました。
当時の五島列島司牧の責任者ペルー神父は、1891年、バチカンにこのルルドの洞窟が再現されたと聞き、五島の信徒に呼びかけて島内の奇岩・珍石を集め、1899年、日本で最初のルルドを作りました。この霊水を飲むと病が治ると言われ、日本全国の信者の聖地となっています。
住所 | 〒853-0411 長崎県五島市玉之浦町玉之浦1243番地 |
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車で35分
貝津教会
色鮮やかなステンドグラスが印象的な白壁の教会
かつて、外海地区から頓泊などに入り、さらに竹山に移住した信徒の子孫が、1924(大正13)年に現在の木造教会を建立しました。国道端で聖母像にむかえられて入ると、畑の向こうに白壁で木造の教会がみえます。
1952(昭和27)年に岳小教区から独立し、貝津小教区となりました。
現教会は1962(昭和37)年に老朽化のため大幅な増改築がなされ、屋根の小さな尖塔はこの時新たに付け加えられたものです。
内部は、ステンドグラスを通して差し込む赤や青、緑色の鮮やかな光の芸術が素朴なぬくもりのある空間を彩っています。
ひっそりと静まり帰った堂内には、内陣に色とりどりの季節の花が飾られ、厳かな中にも訪れる人に心の安らぎを感じさせてくれます。
1952(昭和27)年に岳小教区から独立し、貝津小教区となりました。
現教会は1962(昭和37)年に老朽化のため大幅な増改築がなされ、屋根の小さな尖塔はこの時新たに付け加えられたものです。
内部は、ステンドグラスを通して差し込む赤や青、緑色の鮮やかな光の芸術が素朴なぬくもりのある空間を彩っています。
ひっそりと静まり帰った堂内には、内陣に色とりどりの季節の花が飾られ、厳かな中にも訪れる人に心の安らぎを感じさせてくれます。
住所 | 〒853-0604 長崎県五島市三井楽町貝津郷458 | |
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休日 | 特になし |
車で10分
渕ノ元カトリック墓碑群
東シナ海に面した草原の一角に十字架の墓標やマリア様の像が立ち並ぶカトリック墓地
寛政年間の五島藩政策による開拓農民の移住よりも早く1776年7月27日、三井楽村淵の元に、外海の農民14家族78人が居着きを願いでて移住してきています。
マリア様や墓標を背にオレンジ色に染まる落陽は神秘的で美しい光景であり、墓地の先には遣唐使船が通った東シナ海が広がり、嵯峨島が浮かびます。
マリア様や墓標を背にオレンジ色に染まる落陽は神秘的で美しい光景であり、墓地の先には遣唐使船が通った東シナ海が広がり、嵯峨島が浮かびます。
住所 | 〒853-0609 長崎県五島市三井楽町渕ノ元 | |
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電話番号 | 0959-84-3162(三井楽支所) |
車で5分
三井楽教会カトリック資料館
田中千代吉神父が集めたキリシタンに関する資料を展示
明治15年(1880年)ゴシック様式の木造聖堂が造られました。現聖堂は昭和46年(1971年)建立され島内の各地から採集した貝殻や陶器のモザイク聖画が壁面を飾っています。
教会の隣には、キリシタン資料を一堂に展示した三井楽教会カトリック資料館があり、隠れキリシタン時代の弾圧を物語る資料や展示物や教会建て替えの様子の写真、鯨漁がさかんだった時期の道具などが展示されています。
教会の隣には、キリシタン資料を一堂に展示した三井楽教会カトリック資料館があり、隠れキリシタン時代の弾圧を物語る資料や展示物や教会建て替えの様子の写真、鯨漁がさかんだった時期の道具などが展示されています。
住所 | 〒850-0607 長崎県五島市三井楽町岳1420 | |
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電話番号 | 0959-84-2099 |
車で20分
水ノ浦教会
ロマネスク、ゴシック、和風建築が混合した白亜の美しい教会
水ノ浦の信徒は、五島と大村の藩の政策による1797年の外海(大野・牧野・神ノ浦)5人の男性とその妻子の移住にはじまると伝えられています。
1880年に最初の教会が建築されましたが、老朽化にともない、奥の土手を削って広げ、1938年、鉄川与助設計施工の木造の優美な現教会に改築されました。ロマネスク、ゴシック、和風建築が混合した白亜の美しい教会で、木造教会堂としては最大の規模を誇り、青空に尖塔がそびえる光景は絵になる美しさです。高台にはヨハネ五島(26聖人の内の五島出身者)の像や、弾圧時代の牢跡もあります。
1880年に最初の教会が建築されましたが、老朽化にともない、奥の土手を削って広げ、1938年、鉄川与助設計施工の木造の優美な現教会に改築されました。ロマネスク、ゴシック、和風建築が混合した白亜の美しい教会で、木造教会堂としては最大の規模を誇り、青空に尖塔がそびえる光景は絵になる美しさです。高台にはヨハネ五島(26聖人の内の五島出身者)の像や、弾圧時代の牢跡もあります。
住所 | 〒853-0701 長崎県五島市岐宿町岐宿1643-1 |
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車で5分
楠原牢屋跡
明治の始め、キリシタン迫害のために牢屋として使われた建物(復元)
1868(明治元)年末、久賀島からはじまった「五島崩れ」はクリスマスの日に水ノ浦におよび、まもなく楠原のキリシタンも取り調べをうけて、仮牢となった帳方(キリシタン組織の最高責任者)・狩浦喜代助宅に投獄された後、水ノ浦の牢に移されました。
牢屋となった屋敷の材木は、1954(昭和29)年、水ノ浦修道院楠原分院の1階に使用され、1995(平成7)年に解体、翌年、牢屋跡横に残された材木で、牢屋が縮小復元されました。
敷地内には、1971(昭和46)年、「信仰の自由100周年記念祭」の時に立てられた記念碑「祈りの像」があります。
牢屋となった屋敷の材木は、1954(昭和29)年、水ノ浦修道院楠原分院の1階に使用され、1995(平成7)年に解体、翌年、牢屋跡横に残された材木で、牢屋が縮小復元されました。
敷地内には、1971(昭和46)年、「信仰の自由100周年記念祭」の時に立てられた記念碑「祈りの像」があります。
住所 | 長崎県五島市岐宿町東楠原 |
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車で1分
楠原教会
リブ・ヴォールト天井で、レンガ造りのゴシック様式。下五島に現存する教会としては、堂崎教会に次ぐ2番目に古い教会
楠原地区は、1797年の五島藩要請で、六方の浜から上陸した第1陣の外海キリシタンが移住し、開墾した地域です。
仏教徒を装っていたときは穏やかな暮らしでしたが、久賀島から始まった五島崩れは、楠原にもおよび、信者が捕らえられました。
禁教の高札がおろされたのちの、1912年、ようやく現在のレンガ造の教会が建ちました。
その後年月の経過と共に楠原教会は徐々に傷みが出始め、その都度部分的な補修が行われていましたが1968年には祭壇部分を含め大がかりな増築、補修工事が行われ現在に至っています。
仏教徒を装っていたときは穏やかな暮らしでしたが、久賀島から始まった五島崩れは、楠原にもおよび、信者が捕らえられました。
禁教の高札がおろされたのちの、1912年、ようやく現在のレンガ造の教会が建ちました。
その後年月の経過と共に楠原教会は徐々に傷みが出始め、その都度部分的な補修が行われていましたが1968年には祭壇部分を含め大がかりな増築、補修工事が行われ現在に至っています。
住所 | 〒853-0703 長崎県五島市岐宿町楠原736番地3 | |
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営業時間 | 8:00~17:00 | |
休日 | 特になし |
車で30分
堂崎教会
五島のシンボル的教会。県指定有形文化財
禁教令が解かれたあと、五島キリシタン復興の任を帯びて、フランス人宣教師フレノー、マルマン両神父が五島を訪れ布教にあたり、1879年にマルマン神父によって、五島における最初の天主堂(木造)が建てられました。
その後着任した、ペルー神父によって1908年に、現在のレンガ造りの教会堂が完成しました。建築の際には資材の一部がイタリアから運ばれ、内部は木造で色ガラス窓、コーモリ天井などの教会堂建築となっています。
現在は、弾圧の歴史や資料を展示する資料館として、一般公開されています。
1974年に、県の有形文化財(建造物)の指定を受けました。
堂崎の海岸で干潮時に姿を見せる2つ並んだ丸い石。地元の人からは「リンゴ石」と呼ばれていて、その正体は、地層中の鉄分が長い年月をかけて一か所に集まることで丸い形をつくり、その周りが波や風などで削られることでできたものです。自然がつくるおもしろい光景です。
その後着任した、ペルー神父によって1908年に、現在のレンガ造りの教会堂が完成しました。建築の際には資材の一部がイタリアから運ばれ、内部は木造で色ガラス窓、コーモリ天井などの教会堂建築となっています。
現在は、弾圧の歴史や資料を展示する資料館として、一般公開されています。
1974年に、県の有形文化財(建造物)の指定を受けました。
堂崎の海岸で干潮時に姿を見せる2つ並んだ丸い石。地元の人からは「リンゴ石」と呼ばれていて、その正体は、地層中の鉄分が長い年月をかけて一か所に集まることで丸い形をつくり、その周りが波や風などで削られることでできたものです。自然がつくるおもしろい光景です。
住所 | 〒853-0053 長崎県五島市奥浦町堂崎2019 | |
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電話番号 | 0959-73-0705 | |
営業時間 | ・11月11日~3月20日 9:00~16:00 ・3月21日~11月10日 9:00~17:00 (夏休みは18:00まで) |
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休日 | 12月30日~1月3日 |
FINISH
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