8月9日は長崎祈りの日。過去から学び平和を祈る-長崎平和ウォーク
原爆が落とされた都市として世界に名前が知られている長崎。
8月9日は長崎にとって、そして世界にとっても忘れてはいけない歴史が刻まれた日です。
長崎市にある平和公園エリアは、原爆資料館や平和祈念像があり、修学旅行や平和学習などで外せない学びの地として多くの方が訪れます。少し中心街から離れているものの、観光などで長崎市を訪れた際、ぜひ訪れてほしいエリアです。
今回は#ナガサキタビブのメンバーであるカマサキさんも一緒に、平和公園エリアのスポットを訪れてきました。
世界ではいまだ紛争や内戦が絶えない現在。みなさんも戦争と平和について今一度考えてみませんか。
掲載日:2022年08月04日
ライター:Miyako
原爆資料館からスタート。まずは核の惨状を知ることから
まずは当時の原爆の惨状を知り、歴史を学ぶべく原爆資料館へ。
車の方は有料の駐車場もあります。
路面電車では原爆資料館電停で降り、道路向かい側の坂を上っていきます。
資料館への入口までは徒歩3分ほど。
入口を入ると右側に案内所と平和案内人のガイド受付があります。
通常は平和案内人のボランティアガイドさんが常駐し、長崎原爆資料館や国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館内の展示解説を行っています。
ぜひガイドをお願いしてみてください。
<有料ですが事前予約もでき、その場合は他のスポットの案内もお願いできます。>
壁には、2000から始まり一番下の1945まで、等間隔に四桁の数字が書かれています。
これは西暦を表す数字。
らせん通路を降りながら、現在から原爆が落とされた1945年まで時を遡っていきましょう。
1945年8月9日11時2分。運命の時刻(とき)
券売機で入場券を購入してゲートをくぐるとまず目に飛び込んでくる柱時計。
同時に、時を刻む音が聞こえてきます。
1945年8月9日11時2分。
壊れた柱時計は原爆が投下された運命の時刻で時が止まっています。
入口付近には原爆以前の長崎の写真が飾られ、原爆投下の瞬間を撮影した映像が目を引きます。
キノコ雲の映像の先には、原爆投下直後、雲に覆われ暗くなり、被爆し崩壊した当時の長崎の街の光景が。
奥には教会のような建物の一部が見えます。
キリスト教とは歴史的にも深い関係がある長崎。
ここにあるのは、キリシタン布教の地である浦上地区に建てられた浦上天主堂の被爆時の姿。
原爆落下中心地に近かったため、ほとんどが崩壊し焼失した当時の様子が再現されています。
傷ついた聖像の姿がとても痛々しく悲しそう。
一つ一つの展示物から当時の惨状を知り、学ぶ時間
先を進むと開けた展示室に出ます。
そこでは長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」の実物大の模型や、原爆の被害を受けた様々なものの展示、地域や人への影響を写真や映像で見ることができます。
原爆の被害の展示を抜けると現在の核の現状とこれまでの世界の核兵器や核実験、核にまつわる条約などの歴史や実情も学べる作りとなっています。
家族や友人、ゲストなどと一緒に訪れ、展示資料をみて当時の原爆の悲惨さと戦争や核の歴史について学ぶことで現在と未来の平和について考え、話し合うきっかけとなればいいですね。
原爆資料館の後は国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館へ
原爆資料館の一階から、ピースカフェの前を通って国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館へと続く道があります。
祈念館の地下一階に繋がっているのでそこから地下2階へ階段を降りていきましょう。
原爆資料館は視覚に、追悼祈念館は言葉で心に訴える
総合案内からすぐの遺影・手記閲覧室では、被爆者から集めた体験記をまとめた本がずらり。
これらの体験記をはじめ証言音声や映像、遺影などがデータ化されており、パソコンで閲覧・視聴することもできます。
直筆/代筆で書かれた体験記の数々が当時の様子を伝えてくれます。
もしご存じの被爆者の方がいれば、名前で検索して閲覧することもできますので探されてみてください。
死没者の冥福を祈る追悼空間
追悼空間前室で心を落ち着かせてから、追悼空間へ。
こちらには12本のガラスの柱が立っており、正面奥には原爆死没者の氏名が書かれた名簿が納められています。
名簿の塔と同じ方向に原爆落下中心地があり、自然とそちらを向くようになっています。
この静かな美しい空間で、原爆の犠牲者の方々への追悼と平和への願いを込めて黙とうを捧げました。
平和情報コーナーで平和へのメッセージを残す
交流ラウンジに出たら平和情報コーナーへ。
ここでは端末上にご自身で自由に平和へのメッセージや絵を書くことができ、10年間保存されます。
女優の吉永小百合さんなどの著名人が訪れた際に残したメッセージなどもあり、検索して見ることもできます。
来館の記念に、絵や文字で平和へのメッセージを残してみてはいかがでしょうか。
昼と夜とで印象の変わる屋上の水盤
追悼平和祈念館の入り口がある屋上から出ると、原爆死没者が求めた水をたたえる円形の水盤が。
昼間でも水面に建物が反射してキレイですが、水盤には原爆死没者の数をもとにした約7万個の光ファイバーがちりばめられており、夜になると灯りが映えて幻想的な雰囲気に。
夜の閉館時間に、こちらで追悼の意を捧げてみても。
祈りのゾーン、グラウンドゼロ・原爆落下中心地碑へ
原爆資料館の前の階段を降りていくと、
原爆落下中心地碑がある公園へと続いています。
その途中にも数々の平和を願うモニュメントや記念碑が。
階段を降りると川があり、橋を渡った先の広場奥に原爆落下中心地碑が見えてきます。
橋の近くには被爆当時の地層が見学できる場所も。
悲劇の原点。原爆落下中心地
黒い棒状の石碑がある場所が原爆落下中心地です。
この上空500mで炸裂した原子爆弾。
この地に落とされた原爆により約7万4000人の市民が亡くなりました。
追悼平和祈念館のように原爆殉難者名奉安箱にも原爆による死没者の方々のお名前が安置されています。
今は青々と木々が茂り、緑豊かな公園となっている爆心地。
ここが77年前に原爆で焼き尽くされた場所だと思うと、復興の力強さと今のこの平和な時代の有難さを感じます。
こちらでも黙とうを。
被爆した旧天主堂の遺構も
原爆投下中心地碑の横にあるのは旧浦上天主堂の遺壁。
この爆心地から500mの位置にあった浦上天主堂。
原爆の被害でわずかな堂壁を残して崩れ落ち、その後、信者の方々により再建されました。
わずかに残った原爆遺構の一部がこの公園に移築されており、当時の原爆の威力を物語っています。
No More Nagasaki. 平和祈念像が待つ平和公園で平和の願いを
公園を出たら、通りを渡った向かい側にある平和公園へ。
入口のエスカレーター横には当時の防空壕が今も残されています。
階段・エスカレーターを上がった先には、噴水の舞う平和の泉が。
噴水の前には当時被爆し水を求めた少女の手記が石碑に刻まれ、その先には平和祈念像が見えます。
正面からみると、まるで平和祈念像が噴水に囲まれているかのよう。
原爆の熱線を浴び、熱さで苦しみ水を求めて亡くなった被爆者の方々に捧げられた平和の泉。
人々の心の渇きも癒してくれるでしょう。
四人の天使が上空を舞う長崎の鐘
平和祈念像の前へたどり着くまでに、世界各国から贈られた平和を象徴するモニュメントや、当時この地にあった長崎刑務所浦上刑務支所の壁の一部を地面に見ることができます。
その途中には、張り紙と水が入ったバケツがたくさん用意されている鐘のモニュメントが。
これは爆心地周辺にあった軍需工場で亡くなった方々の冥福を祈るために建てられた「長崎の鐘」です。
ここでは、三菱兵器製作所で被爆し生き残った早崎さんの当時の体験を知ることができ、水を求めて亡くなっていった死没者へ手向けられたお花にお水をあげることができます。
数年前に訪れた時には実際に被爆者である早崎さんとお会いする機会もあり、こちらの鐘の下で平和公園を訪れる国内外の観光客にご自身の原爆体験を直接お話されていました。
こうした当時の様子を今に伝えてくれる被爆者の存在はとても大きく、実際に話しを聞く機会に恵まれると心に残る体験となるでしょう。
鐘は管理する被爆者団体が長崎原爆の日にちなみ、毎月9日(平和祈念式典がある8月を除く)午前11時2分に平和を祈り鳴らされています。
平和への願いのシンボル・平和祈念像の前で平和への思いを
毎年、長崎原爆の日である8月9日には
犠牲者を弔い、世界平和を願う長崎平和祈式典が
この平和祈念像の前の広場で執り行われます。
※当日は平和公園内の入場規制を実施
ここはまさに世界に向け核兵器の廃絶と世界平和の実現を訴え発信する場所。
平和祈念像の天高く手を上げ指をさす右手は「原爆の脅威」を、
水平に伸ばした左手は「平和」を、
軽く閉じたまぶたは「原爆犠牲者の冥福を祈る」
という想いが込められています。
「天主堂が見える丘」で、平和な日常に感謝を。
平和祈念像の右側を通り進んで行くと、浦上天主堂を望む展望スポットが。
ここからは空と山を背景に、かつて原爆で焼き尽くされたのち復興を遂げた浦上地区の風景を眺めることができます。
原爆の悲惨さを学び被爆者の方々の苦しみを思うと心が痛くなってしまいますが、この現在の美しい街の光景を見ると、現在当たり前のように感じてしまう平和な日常に感謝の思いがこみあげてきます。
-世界中の人々に平和な日常が訪れますように。-
目の前にある階段を降りると、今も信者の祈りの場となっている浦上天主堂をはじめ、原爆の被害を受けた山里小学校、名誉市民にもなった永井隆博士が余生を過ごした如己堂(永井隆記念館併設)へも歩いて行くことができます。
ぜひそれらの場所も興味があれば訪れてみてください。
※山里小学校の平和遺構の見学には事前申込が必要です。
平和公園エリアを訪れ、過去から学び平和を考えるきっかけを
平和な時代に生まれた多くの私たち日本人にとって、戦争は身近なことではないかもしれません。
しかし、今だ世界には核兵器が存在し、戦争で苦しんでいる人たちがいます。
世界で唯一の被爆国である日本。
原爆が落とされた長崎。
この地に刻まれた悲しい歴史を学び、平和な世界への思いを確認するために、
改めて平和公園エリアを訪れてみませんか。
今回訪れた場所
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この記事を書いた人
#ナガサキタビブ 部員(公式ライター)
長崎の魅力を県外や海外の方に知ってもらいたい!
長崎県大村市出身。インバウンドを得意とする旅のコンテンツクリエーター。海外・東京などでの生活を経て、2018年の暮れに長崎にUターン。その後、長崎の歴史や文化を学び直し、その魅力にはまる。個人のSNSやフリーランストラベルライターとしても複数メディアで長崎の魅力を発信中。