長崎街道をゆく①
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掲載日:2017年06月08日
ライター:GO!GO!ともっち
こんにちは!ともっちです☆
長崎街道を歩いてきました!
長崎街道とは、この国が鎖国をしていた江戸時代、唯一の西洋との貿易窓口であった長崎から北九州の小倉に至る、約250kmの重要な幹線道路。
すべての新しく珍しいヒト・モノ・コトはこの街道を通り、長崎から江戸へ、そして全国へと運ばれていったのです!
今回は「永昌宿(諫早市)」をスタートし、「大村宿(大村市)」を目指す約12Kmのウォーキングに挑戦♪
ウォーキングの開始にあたり、まずは「腹が減っては戦ができぬ!」というわけで、JR諫早駅・長崎街道「永昌宿」近くにある「竹野鮮魚」へ。
魚屋さんで新鮮な「まかない飯」を食べることができる人気店です。
◆竹野鮮魚 公式HP:http://sakana.b1388.jp/
刺身定食780円。
さっきまで生きていた新鮮な刺身のプリプリ感が堪りません!
味噌汁&小鉢付きでコスパも最高!
SNSで話題のパワースポット「大漁旗」の前で、名物女将「鮮魚主婦」のミサ姐とパチリ☆
これから長崎街道を歩く力がみなぎってきた・・・ような気がします。
店内には「死ぬまで生きてた」新鮮な魚がピチピチ・ずらり☆
さて、お腹が満足したところで、長崎街道を「永昌宿(諫早市)」から「大村宿(大村市)」へ向けへレッツ・ゴー♪
要所要所に立っている標識と地図をたよりに歩きます。
かつて佐賀藩諫早領の代官屋敷や銭方跡などがあった永昌町交差点を諫早商業向かい側から住宅街の坂を登り、ウエスレヤン大学方面へ。
岩茶屋跡の三叉路を右折し、大村街道方面へ。
破篭井(わりごい)茶屋跡。
ちょっと変わった地名だと思いませんか?
破篭井は平家の落人伝説が残る集落ですが、地名の由来は、お弁当を包む「わりご」からきているという説もあるんですって。
このあたりで包みを開けてお弁当を食べたのかもしれませんね☆
安全祈願と福の神様である恵比寿様の後ろには、茶屋で使われていた古い井戸が残っています。
このあたりは歴史の道百選(文化庁選定)にも選ばれた風情ある古道。
大村街道は、諫早市破篭井(わりごい)町から山間部に入り、日野見岳の麓を経て大村市との市境まで、1.5kmの街道です。
坂本龍馬やシーボルトなど歴史上の有名人も、この道を歩いたのかしら・・・?
このあたりは江戸時代の長崎街道の風情が色濃く残っていて、タイムスリップしたような気分になります。
何に使われていたのか全くもって謎の巨石「どんばら石」。
かつては妊婦のお腹のように突き出ていたのだとか。
木々のさわめきを聞きながら、坂道を汗をかきかき登っていくと、かつての見張りの兵士が交代で立っていたという大渡野番所跡。
峠の頂上には、「硯石」「鬼の足型石」などと呼ばれる藩境の巨石が鎮座していました。
ここが大村藩と佐賀藩諫早領の境目だったそうです。
面白いことに、巨石をはさんで諫早側の看板には「日野峠」、大村側の看板には「鈴田峠」と書かれていました。
同じ山なのに諫早側と大村側では呼び名が違うようです・・・。
峠で水分を補給して、ちょっとひと休み。
少し先へ行くと大名などが篭を立てて休んだ「藩境駕篭立場跡」の石垣も残っていました。
木々が生い茂る未舗装の下り坂を降りきると、見晴らしの良い場所へ出ました!!
ここから大村城下まで、もうひと頑張りです!!
この続きは、次回のブログでご紹介します。
◆長崎街道について詳しくはこちら↓
長崎県文化振興課HP「旅する長崎学」
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