口之津、そして天草へ(前編)
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掲載日:2021年01月21日
ライター:GO!GO!ともっち
長崎県 島原半島の南端「口之津」から熊本県の「天草」へ。
フェリーで早崎海峡を渡り、ぶらりと日帰り旅に出かけました。
長崎県 南島原市 口之津町は、16世紀に一時期 南蛮貿易船の来航地となった後、19世紀末の明治後期から石炭積み出し港として再び栄えた小さな港町。
昭和に入ってからは船員の町となり、最盛期は家族も含めると人口の半分以上が船の関係者だったそうです。
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口之津歴史民俗資料館(分館)
レトロさが残る港町をぶらり散策してみましょう。
まずは旧長崎税関口之津支署庁舎の建物などを活用した「口之津歴史民俗資料館」の分館へ。
明治32年築の建物は長崎県の有形文化財に指定されています。
口之津港と共に繁栄・衰退を繰りかえしてきた口之津の歴史と民俗を学ぶことができる資料館です。
歴史ある建物で古写真や昔の生活道具類を眺めていると、当時の口之津にタイムスリップしたような気分になります。
知ってほしい「からゆきさん」のこと
こちらの資料館を訪れた際にぜひ見ていただきたいのが「からゆきさん」関連の資料です。
「からゆきさん」とは、19世紀後半に主に東アジア・東南アジアの港町に娼婦として売られた日本人の少女たちのこと。
石炭積出港として賑った口之津からは、石炭と同時に、この貧しい家庭の少女たちがたくさん船底に押し込められ「輸出」されていたという悲しい歴史があります。
彼女たちの資料を見ていると同じ女性として考えさせられるものがあり、自由な暮らしができている自分がいかに幸せかということを感じます。
与論館
また、敷地内にある「与論館」は、口之津が石炭積出し港として栄えた明治30年代に鹿児島県の与論島などから石炭労務者として集団移住してきた人々の歴史を学ぶことができる建物。
館内には、過酷な労働と貧しい生活で苦労を重ねた彼らが暮らした住居「与論長屋」が一部部材を使って縮小再現されています。
口之津と与論とは現在、修学旅行などを通じて友好的な交流が行われているそうです。
資料館で歴史について学んだあとは、古い町並みが残るエリアを歩いてみましょう。
口之津町民の心の拠りどころ 玉峰寺
八雲神社
蓮池があったので、初夏にはキレイな花が咲くのかもしれません。
ビーナス美容室
昭和レトロな美容室…と思ったら、廃業した美容室をそのまま利用したカフェでした。
ちょっと寄り道してお茶することに。
長閑な坂道を上っていくと、懐かしい雰囲気の小学校の跡地や昔ながらの住宅街。
穏やかな性格の牛や羊たちにも会えました。
口之津港ターミナル
まちを散策したあとはフェリーで天草へ渡るべく、口之津港ターミナルへ向かいます。
2020年春に完成したばかりの真新しいターミナルビルです。
2階には「口之津歴史民俗資料館」の本館が移転オープンしています。
さきほどご紹介したレトロな建物から、一部資料をターミナルの本館に移転。
南蛮船が来航したキリシタン時代や近現代に貿易港として栄えた歴史について紹介されています。
口之津港から鬼池港まではフェリーでたったの30分。
天気が良ければ、船に伴走する人懐っこいイルカに逢えることも多いのだとか。
遠くに天草が見えてきました。
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