長崎街道シュガーロード 日本遺産認定
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掲載日:2020年07月07日
ライター:GO!GO!ともっち
長崎では昔から甘味が足りないことを『長崎の遠か~』と言います。
長崎を訪れた方は料理の甘さに驚きます。
そう、長崎は「甘いまち」なのです。
2020年6月「砂糖文化を広めた長崎街道~シュガーロード~」が日本遺産に認定されました。
江戸時代、日本で唯一西洋との貿易窓口であった長崎から小倉に至る「長崎街道」。
世界各地からもたらされた新しく珍しい「ヒト・モノ・コト」はこの街道を通り、その後、全国各地へと運ばれました。
「砂糖」もそのひとつ。
長崎街道は別名を「シュガーロード」と呼ばれています。
長崎街道=シュガーロード
長崎街道は、その沿線に砂糖をたっぷり使ったお菓子などが数多く伝承されているのが特徴です。
長崎県内でも「カステラ」をはじめ、「桃カステラ(長崎市)」・「おこし(諌早市)」・「大村寿司(大村市)」など有名で美味しいものばかり。
長崎=甘い
多くの日本人が砂糖を口にしたことがなかった江戸時代、長崎だけは特別でした。
当時は長崎に近い土地ほど砂糖が手に入りやすく、砂糖をたくさん使った甘い食文化が生まれたため、「長崎=甘い」というイメージが定着していきます。
砂糖を節約した甘みが足りない料理などを揶揄した「長崎が遠か(甘みが足りない)」という言葉も生まれたほど。
砂糖はどこからやってきたの?
鎖国をしていた江戸時代、日本で唯一、西洋や中国との貿易窓口であった長崎。
中でも「出島」には、オランダ東インド会社のアジア貿易の拠点であった「バタヴィア(インドネシア/現ジャカルタ)」を経由して、アジア各地やヨーロッパの商品がもたらされました。
「砂糖」もそのひとつ。
出島
日本で唯一、西洋との窓口として開かれていた扇形の人工の島「出島」。
現在、当時の姿に戻すための復元整備事業が進められています。
出島と外界との唯一の接点は、一本の「橋(= 出島表門橋)」だけでした。
2017年に約130年の時を経て当時と同じ位置に架橋された「出島表門橋」を渡り、江戸時代の出島にタイムスリップしてみましょう。
(上:砂糖などを計量した「天秤量(複製)」/西門に展示)
(下:計量の様子が描かれた絵図/川原慶賀「唐蘭館絵巻(複製)」/三番蔵に展示)
門番さんがいたので案内してもらいました。
写真左は砂糖などを測った「天秤量(複製)」。
オランダ船が運んできた砂糖などの輸入品は出島で荷揚げされ、計量測定を行ったあと、「砂糖蔵」とよばれた出島内の蔵に貯蔵。
江戸中期以降は長崎会所が一括購入し、国内商人による入札を経て、長崎から日本全国へと運ばれていったのだそうです。
砂糖蔵として使われていた三番蔵には、当時と同じように麻袋に詰められた砂糖を展示(中央)。
また、グリーンの格子が目印の筆者蘭人部屋(上)では、出島が世界や日本各地と繋がっていた歴史について知ることができます。
シュガーロードの歴史を学んだあとは、出島内のレストラン(出島内外倶楽部)で長崎名物のひんやりスイーツ「ミルクセーキ」 (下)を食べながらひと休みするのもおすすめです。
関連史跡紹介
南蛮船来航の波止場跡(旧長崎県庁 第三別館前)
長崎名物の代表格といえば「カステラ」。
砂糖をたっぷり使った甘くてふわふわでとっても美味しいカステラは、地元の人にも観光客にも大人気です。
その製法は、南蛮船に乗ってやってきたポルトガル人宣教師によって伝わったといわれています。
※ 「長崎」という都市がまだ影も形もなかった頃(1571年/出島が完成する70年ほど前)、長い岬の先端に作られた小さな波止場に南蛮船(ポルトガル船)が入港しました。
以後、毎年のように来航した南蛮船や唐船によって、長崎は国際貿易都市として急速に発展していくことになります。
旧長崎県庁 第三別館前には「南蛮船来航の波止場跡」の石碑が立っています。
※ ちなみに「長崎」という地名の由来はこの「長い岬」、長崎弁で「長か岬(なんかみさき)」から転じてつけられたのだとか。
道路元標(旧長崎県庁前)
こちらは国道34号線の終点を表す道路元標。
国道34号線はほぼそのまま「長崎街道」と重なります。
かつて長崎奉行所があった長崎県庁跡地(道路沿い)の目立たない場所にひっそりと建っていますが、近くを訪れた際はぜひ探してみてください。
(長崎県庁は2017年の年末に長崎駅近くの新庁舎に移転しました)。
こちらは長崎街道の永昌宿(諫早)から大村宿(大村市)まで 約12kmを歩いた際の写真(2017年撮影)。
諫早市破篭井(わりごい)町以降は当時の雰囲気を感じることのできる道が続くので、歩いてみるのもおすすめです。
実際に歩いた取材レポートはこちら↓
「長崎街道をゆく①」https://www.nagasaki-tabinet.com/blog/72
「長崎街道をゆく②」https://www.nagasaki-tabinet.com/blog/74
多い年には年間24億円相当もの砂糖がもたらされた長崎を起点に、京・大坂・江戸、そして日本全国に広まっていった砂糖文化は日本人の嗜好や食生活を大きく変えました。
一説によると「江戸城の大奥で膨大な量の砂糖が消費されていた」・・・なんて話も、あるとかないとか。
砂糖をたっぷり使った甘いスイーツは、大奥の女性たちをも虜にしたのかもしれませんね。
かくいう私もしかり。
これを機に「長崎街道スイーツめぐり」に挑戦してみたいと企んでいます。
(食べるだけでなく、ちゃんと歩きますよ)