川棚 戦時遺構めぐり 魚雷発射試験場
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こんにちは!ともっちです。
長崎県の中央部、大村湾に面した川棚町の戦時遺構を訪れました。
太平洋戦争が終わるまで、旧日本海軍の重要な軍事施設があった場所です。
1918年、大村湾沿いの半島・片島に開設された魚雷発射試験場の跡。
ここでは佐世保海軍工廠や三菱長崎兵器製作所で造られた魚雷の発射試験が行われていたそうです。
掲載日:2016年02月29日
ライター:GO!GO!ともっち
魚雷発射試験場 本部跡
こちらは海辺に残る美しきレンガ造りの廃墟は、魚雷発射試験場の本部として使われていた建物。
試験場跡に隣接し、魚雷の最終検査や調整が行われたと言われています。
自然に戻りつつある姿・・・
時間が止まったような空間が、そこにはありました。
魚雷発射試験場跡
大村湾に突き出たこの場所で魚雷の発射試験が行われていました。
場所:長崎県東彼杵郡川棚町三越郷
特攻殉国の碑(川棚魚雷艇訓練所跡)
次に訪れたのは、新谷地区にある「特攻殉国の碑」(川棚魚雷艇訓練所跡)
太平洋戦争末期、日々悪化する一方の戦局を挽回するため、体当たりの特攻作戦が計画されます。
特攻といえば航空特攻隊が有名ですが、ここ川棚で訓練が行われていたのは水上特攻。
いわゆる「人間魚雷」です。
この海で、全国から志願した数万人の若者が日々訓練を受け、出陣。
そして3,511名の尊い命が失われました。
この「特攻殉国の碑」には、海の特攻作戦で命を失った殉国者3,511名全員の名前が刻まれています。
戦後70年経った今でも、花やお酒を手向け、祈りを捧げる人があとを絶たないそうです。
資料館
特攻殉国の碑の隣には小さな資料館が併設されています。
航空特攻隊の資料は多くありますが、海上特攻隊の資料は非常に少なく、今までほとんど表に出ることはありませんでした。こちらの資料館では、当時の訓練の様子がわかる貴重な資料・写真を見ることができます。
このほか、水上特攻艇(震洋)の3~4分の1サイズの模型も展示されていました。
船体はなんとベニヤ板に爆薬をくっつけただけという簡素なもの・・・。
これに人間が乗って出撃し、1つしかない命を失ったのかと思うと、遺族の気持ちはいかばかりだったでしょうか。
場所:長崎県東彼杵郡川棚町新谷郷
※通常は施錠していますが、事前に連絡すれば見学できます。 都合があえばガイドも可能(無料)
連絡先:新谷郷総代(電話:0956-82-4411)
赤レンガの倉庫群
こちらは川棚海軍工廠跡地に残る2棟の赤レンガ倉庫。
屋根はなく木々や蔦が絡まり、独特の味わいを醸し出しています。
近隣に民家が密集していますので、見学の際はご配慮ください。
川棚町に残る戦時遺構の数々、 「時が止まっておかなければならない場所」をめぐってみてはいかがでしょうか。
【問い合わせ先】
川棚町役場 産業振興課 商工観光係
所在地:長崎県東彼杵郡川棚町中組郷1518-1
電話:0956-82-5414
FAX:0956-82-5151
※この記事の内容は2016年2月29日公開時のものです