<日本遺産> 三川内焼ふるさと探訪①
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掲載日:2016年07月21日
ライター:GO!GO!ともっち
こんにちは!ともっちです☆
400年の歴史を誇る「日本陶磁器のふるさと 肥前」。
平成28年4月、長崎・佐賀の両県にまたがる肥前窯業圏の焼き物文化が、「日本遺産」に認定されました!
かつて平戸藩の御用窯として、将軍や大名、天皇への献上品を製造していた三川内焼もそのひとつ。
先日、佐世保市街地から車を30分ほど走らせ、憧れの三川内焼のふるさとを巡ってきました☆
まず訪れたのは、三川内焼伝統産業会館(三川内焼美術館)。
こちらには、江戸期から明治期にかけての貴重な作品と、400年の伝統を受け継ぐ現代三川内焼の秀作の数々が展示されていて見ごたえ十分!
こちらはなんと400人もの唐子が描かれている大皿!
三川内焼400周年を記念して作られたもので、重さは約50kgもあるそうです!
また、こちらでは絵付けや透かし彫りの体験もできます。
三川内焼の伝統に気軽に触れることができますよ♪
(写真は昨年、私が体験したもの)
体験の詳しい案内はこちら
↓ ↓ ↓
「みかわち焼きオフィシャルサイト」
三川内焼の基礎知識を学んだあとは、5~10分ほど車を走らせ、多くの窯元がある焼き物の里・皿山を訪ねてみましょう♪
(今回は三川内三皿山のひとつ、「三川内皿山」に行きました。)
この地区では、現在も人口のおよそ1/4が焼き物関係の仕事に従事しているそうです。
三川内で焼き物の製造が始まるきっかけとなった小高い山
戦国時代、平戸で生産が始まった陶磁器は江戸後期以降、ここ三川内に生産地が移りました。
三川内焼の陶祖の一人となったのは、この山で生産を始めた朝鮮出身の陶工 高麗媼(こうらいばば)。
彼女は28歳で中里氏に嫁ぎ、中里嫛 (なかざと・えい)と名乗りました。
技術の高さはもちろん、スラリとした美人で聡明な彼女は、土地の人たちに愛されて100歳以上長生きし、そのお墓には現在も花が絶えないそうです。
さて、三川内山公園で車を降りて、散策をスタートします。
こちらは昭和初期の窯場。
味わいのあるレンガ作りの煙突が往時を偲ばせます。
ガイドの林さんが持っているのは、昔使われていた「ボシ」といわれる、焼き物を入れる容器。
この中にひとつずつ入れ重ねて、窯で焼いたのだそうです。
(現在はガス窯なので使用されていません)
右の写真は昭和初期まで使われていた窯の内部。
1,300℃で蒸し焼きにして酸素を抜くことで、三川内焼ならではの白く、薄く、美しい藍色の染付けに変化するのだそうです。
床に空いた穴は酸素を抜くため。
焼き物はまさに「炎と土の芸術品」ですね!
毎年5月初旬に開催される「みかわち焼窯元はまぜんまつり」では、この古い窯場で豆皿展が開かれます。
各窯元の美しくも可愛らしい1,000枚の作品を、比較的リーズナブルに購入することができますよ☆このあとは、400年の伝統が息づく三川内焼の皿山をぶらり。
陶祖を祀る神社や窯元のギャラリーなどをご紹介します♪
<おまけ>
三川内山公園前にある公衆トイレの案内タイル。
代表的な三川内焼の絵柄である唐子の絵が描かれていてキュートです